憲法改正論

憲法改正論』

今日5月3日は、憲法記念日ですので、少し真面目に論じたいと思います。

1947年、日本国憲法の施行を記念して、翌年に制定された祝日です。以前、この日本にも言論の自由がない『タブー』が存在していたと言いましたが、この憲法もそれに近いテーマでした。

ただ、他のテーマと違い、圧力団体からの抗議を嫌気してというよりは、政治的状況と、マスコミの立ち居地が大きく影響していたように思います。本来、自民党は『憲法改正』を党是として立党された政党です。しかし、様々な要因がそれを阻み続けました。

その第一は、憲法改正には、憲法96条により、衆参両議院の総議員数の2/3以上の賛成をもって発議され、国民の判断を仰ぐ事になっていますが、肝心の国民投票法が制定されていないという、なんともまあ間抜けな状態が続いていたのです。これは憲法改正に賛成、反対の別なく、国会の怠慢であり国民への背信でしょう。

さて、そもそも民主主義の根幹の一つである多数決の原則を無視し、改正の発議には国会議員の2/3以上が必要などと、極度にハードルを挙げた要因は、ひとえに当時の占領軍であるGHQの思惑なのですが、それを糾弾すると、長くなりますので、今回は割愛します。

いわゆる55年体制の時代、憲法改正論議自民党社会党の、イデオロギー論争の道具にされてしまい、実質的な改正への手続きについての進展はありませんでした。また、マスメディア、特に大新聞社は、左寄りつまり憲法改正反対を主張する朝日、毎日が世論をリードしました。

当時の日経を除く4大新聞社のうち、

左  :朝日新聞
やや左:毎日新聞
やや右:読売新聞
右  :産経新聞

と色分けされましたが、新聞の販売部数はそれぞれ概算で、

朝日新聞:約800万部
毎日新聞:約500万部
読売新聞:約1000万部
産経新聞:約200万部

ぐらいだったと思います。(細かい数字までは記憶していません。誤認であれば謝罪します)
販売部数は、左右でほぼ拮抗していますが、この憲法改正問題に関して、読売新聞が論説を避けていたため、産経新聞のみでは、朝日、毎日の連合軍に抗することが出来なったという次第です。テレビ局は、新聞社の系列にありますから、マスコミの論調は憲法改正反対に終始していたわけです。

それが憲法改正の実質的論議の機運が高まったのは、1993年に55年体制が崩れてからです。

遅くなりましたが、私は言うまでもなく憲法改正賛成派です。

憲法改正賛成派は、
1.自主憲法制定・・・・そもそも、この憲法はGHQが数日間で作成したものを金科玉条の如く奉る事自体がおかしい。
2.時代の要請・・・・・自体の流れにそぐわない、もしくは規定の足りない状況を回避するために改定が必要。
というのが論拠にしています。

私は、決してそれらを否定するものではありませんが、もっと重要な理由が他にあります。それは、あらためて不戦の誓いを立てるということです。

護憲派は、その理由の第一に、この平和憲法(日本奥憲法)があったからこぞ、戦後一度も戦争をすることがなかったのだと主張し、対して改憲派はそれは妄想で、真の理由は日べ安全保障条約があったからだと反論しています。アメリカの庇護下にある日本には手出しができなかったと主張しているわけです。

私は両方正しいのだと思います。冷戦下において旧ソ連が日本に手出しをできなかったのは、日米安全保障条約の効力のおかげですし、逆に朝鮮戦争ベトナム戦争に参加せずに済んだのは、この日本国憲法の存在により、アメリカが日本に参加要請ができなかったということもあると思うからです。

ですが、イラク戦争あたりから事情が違ってきました。、アメリカは日本にも軍事的な貢献を求めて来るようになりました。湾岸戦争は金で済みましたが、イラク戦争では『Show The
Flag』、『Boots on The Ground』、つまり自衛隊が平和維持のためサマワに駐留しましたし、アフガン戦争ではつまりインド洋上で艦船への給油活動をしました。

以前にも書きましたが、自衛隊イラク派兵を巡る国会審議において、
非戦闘地域かどうかは何を持って判断されるのか?』
という質問に、当時の小泉首相は、
自衛隊が駐留する地域は非戦闘地地域だ』
などと子供騙しの詭弁を弄しました。彼の理屈で言えば、
侵略戦争か自衛のための戦争かは、何を持って判断するのか』
と問われれば、
自衛隊が行う戦争は、すべて侵略戦争ではない』
という抗弁が成り立つということになります。

全く、国民と国会を愚弄した答弁でしたが、さらに深刻なのは、小泉元首相の答弁に対して、与党議員が誰も異議を唱えなかったことです。野党議員は憤慨していましたが、政権与党の自民党党議員は笑っている者さえしました。さらに、新聞やマスコミは当時人気絶頂で、国民の支持率が高かった権力者に媚び諂うような論調に終始しました。

私はそのときの現状に寒気さえ覚えました。国会議員もマスコミも国民に対して不誠実な輩で、こんな奴らが政治や世論を主導しているのかと思うと、暗澹たる思いになりました。

逆に言えば、小泉元首相がこのような妄言を吐いた裏には、現行憲法の改正論議が停滞したままだったからとも言えるのです。アメリカからの軍事的貢献要請は強まるばかりだが、憲法は改正できない。そこで、『内閣法制局』なとどいう、全くもって国民の意思とは関係のない部署が、いわゆる『憲法の拡大解釈』なるものを示し、それによって現状を乗り切って来たのです。それが、イラク戦争であり、アフガン戦争でした。

しかし、艦船への給油活動、つまり後方支援というのは、戦争で言うところの『兵站』であり、もやは軍事活動そのものなのです。戦争相手にすれば、後方の輸送などを断つことで、前線の戦闘を優位に進めるというのは、常套手段であり、したがって日本は戦争に参加していたことになるのです。

それが、一部局の、つまりは一官僚の『憲法の拡大解釈』によってなされていたのです。今後、テロとの戦いを名目にアメリカの要請は熾烈になるでしょう。日本は今後も憲法の拡大解釈でなし崩し的に乗り切るのでしょうか。

私は非常に危うい行為だと思います。憲法の『非戦』の精神を保とうとするのであれば、憲法を改正して、あらためて非戦の誓いを立てるべきなのです。そして、自衛のための戦争要件を厳密に定めておくことです。

また、集団的自衛権の行使についても、明文化すべきでしょう。集団的自衛権というと、護憲派は必ず『アメリカの戦争に巻き込まれる』と主張します。また、憲法改正を言うと、必ず『日本を戦争のできる国にしたのか』を声高に喚きます。

憲法改正、とくに第九条は慎重に論議を重ねるべきで、私は決して改正反対派の意見を無視するつもりはありません。しかし、同じ護憲派でも真に日本及び日本国民の思ってのものではなく、ただただ、前記の、
アメリカの戦争に巻き込まれる』
とか、」
『日本を戦争のできる国にしたのか』
と喚き散らす、国会議員、マスコミ、評論家と称する輩等には我慢がならないのです。彼らは、日本をこのまま何もできない、自分たちの言うとおりになる国にしておきたいという勢力(国)の代弁者でしかなく、売国奴であるからです。

現行憲法下であっても、日本は戦争のできる国です。すなわち、自衛戦争です。今憲法改正で求められているのは、あくまでも『集団的自衛権』の行使についてであり、もちろん行使をするべきなのです。なぜなら、それが日米安全保障条約の改定、基地の返還交渉に繋がるからです。

日本に米軍基地が存在するのは、日本国憲法による戦争の制限から、日本の安全保障を確保するためという名目があるからです。集団的自衛権の行使を明文化し、日米安全保障条約の改定を実現すれば、米軍が日本に在留する必要性は薄まります。

もちろん、すべての基地返還というのには時間が掛かりますが、少なくとも、沖縄の基地負担は軽減されるでしょうし、横田基地も返還可能でしょう。横田基地は一等地ですから、経済効果は計り知れません。

ともかく、中国の覇権主義が鮮明化してきた現在、日本人は『自分たちの国は自分たちの手で護る』という決意をする時に来ていると思います。

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