『阪神・和田監督は凡将-3』

安岡久遠のブログより引用。

阪神・和田監督は凡将-3』

また無能監督がやらかした。3日の対楽天戦である。
この試合、メッセンジャーが8回まで1安打無失点に抑え、3−0でリードしていた。ここまでの投球数は100球ちょっと。(108?球)メージャーとは違うので今シーズン4試合目の完封試合を目指すのは当然であろう。

結果はヒットと三塁打を打たれたところで呉昇桓に交代したが、呉も打たれて大逆転サヨナラ負けとなった。

私は、この結果そのものを問題視はしない。だが、メッセンジャーに続投させるのであれば、それなりの準備というか対処が必要だったと言いたいのである。というのも、9回打席に立ったメッセンジャーが四球を選んで塁に出てしまったのである。続く上本も四球、大和の内野ゴロで三塁まで走りもした。6,7回であれば、別に文句を言うつもりはないが、8回まで100球以上投げた投手をなぜ塁に出させてしまったのか。

私はテレビを見ていなかったので、スポーツナビの一球速報で確認したのだが、メッセンジャーはストレートの四球だった。だとしても三回バットを振れば三振なのだからそうするべきだろう。厳格に言えば無気力プレイだと叱られるかもしれないが、プロ野球の世界では暗黙に許された行為でもあるのだ。

外国人選手は闘争心が旺盛なので、もしかしたらメッセンジャーはファンのためにもそれを良しと思っていなかったのかもしれないが、そこを説得するのが首脳陣、監督の仕事だろう。本当に和田監督は無能だと言わざるを得ない。

もう一つ、9回の守備でレフトのマートンをそのままにしていた。結果、微妙なあたりを三塁打にしてしまった。マートンは守備が下手である。当然守備固めをするべきだった。上手い選手であれば、好捕していたかもしれない。和田監督はそのことを聞かれ『流れを変えたくなかった』と弁解した。

私はこの弁解にも愕然とした。彼の言う『流れ』とはどういう流れを言うのだろうか?
ひょっとして、今3−0で勝っているし、このまま変化を付けないことが流れを変えないことだと思ったのではないか。そうだとしたら、もう馬鹿というしかない。この場合の流れを変えないというのは、なにもしないということではなく、勝利のために最善を尽くすこと、出来るだけの手を打つということだろう。そのためには『奇手』を使わず、いつも通りの勝ちパターンの采配を振るうことだ。

これまで、和田監督は勝利が確定的なときは、7,8回でもマートンを交代させていた。この試合は3−0と、スコア的には勝利が確定的とは言えないが、残るイニングは9回のみで、これまで1安打ピッチングのメッセンジャーである。守備固めをするべきだった。

私は結果論で批判しているのではない。守備固めをしていても捕れなかったかもしれないし、メッセンジャーがあっさり三振してベンチで休んでいても逆転負けしたかもしれない。
しかし、することはしろと言いたいのだ。最善を尽くしての結果であれば諦めもつくが、昨夜のような無能ぶりを見せつけられての敗戦では、怒りをぶつけるところがないではないか。

昨夜のような試合を見てしまったら、おそらく私は怒りのあまり仕事は手に付かなくなり、
眠れもせず、いらいらしながら一夜を過ごすことになったであろう。それでは身が持たないので、必然的に試合を見ないということになるのだ。私が阪神戦を見なくなったのはこれが原因である。もっとも、何があっても阪神を愛し、試合を観戦する虎党からすれば、私は本当の阪神ファンではないとお叱りを受けるかもしれないが・・・・・。

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